IRの使い方?

(大学マネジメントにおける上級管理職とIRの機能的連携に関する研究(科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果中間報告書 研究代表者:鳥居 朋子  研究課題番号21530846 研究機関平成21年度ー23年度)より転載、61-70頁)

柳浦 猛

本稿は、Institutional Research (IR)がアメリカの大学において執行部の意思決定にどのようにIRが関わっているのかに対して議論を展開する。具体例として、3つの意思決定分野におけるIRの展開について紹介する。そして最後に、これらの例をもとに、日本の大学への示唆を考察し、日本の大学におけるIRの今後のあるべき姿についての展望を述べる。

1.はじめに

本稿では、「IRの使い方」に関して述べていく。IRの定義に関しては、様々な角度から議論されきているので、IRがどのような業務を果たすのかということに関しては、関係者の中ではそれなりに理解が深まってきているといえる。しかし一方で、実際にIRを設置している大学となるとその数はまだ限られている。そしてIRを設置した大学においても、実際にそれが機能している大学となるとその数は更に少なくなる。議論が深まる一方でIRがまだ根付いている状況といえない一つの理由としては、IRを設置したところで、それをどのように理論を越えて実務の上から使いこなしていけばいいのか、IRスタッフだけでなく、大学の執行部、及び教員を含めた関係者が理解しかねているという現状に一つの理由があるようである。現在の日本の高等教育界の関係者たちの中では、IRが必要なことは直感的には理解できるが、それではそれをどう実際に設置し運営させていけばよいのか、特に意思決定にどう役立てていけばよいのかとなるとイメージがわかない、という人が多いというのが私の印象である。また、筆者自体そのようなコメントを複数の大学関係者から聞いたことがある。本稿では、そのいわば「IRのジレンマ」を現在経験している人たちに向けて、IRを設置したとして、それをその後どのように使いこなしていけばよいかについて、自分なりに思うところをアメリカの具体例を紹介しながら述べていく。

2.アメリカの大学の意思決定の仕組み

アメリカの大学ではIRはデータ分析を行い、執行部にその結果を提供していくというセオリーは日本の大学関係者の中である程度理解されているものの、それでは実際にどのようなデータがどのような形で使われているのかとなるとあまりイメージができていないようである。アメリカの大学においてはIRを通じてどのようなデータをどうやって使って意思決定に役立てているのか、という問いに答えるためには、まずアメリカの大学における意思決定メカニズムを知らなければならない。意思決定がどのように行われていることを知ることなしには、それに使われるデータのことを論じることはできないからである。

結論から述べると、アメリカの大学というのは、意思決定プロセスが透明さにかけ、誰がどのような意思決定を下しているのかが非常にわかりづらい組織である(Duderstadt, 2000)。また当然のことながら大学によって意思決定プロセスは大いに変わるので、そもそもアメリカの大学はこうやって意思決定を行っているということを一言で表すこと自体が不可能な作業であるといえる(Office of the Chancellor at the University of Illinois, 2004)。言い換えれば意思決定のプロセスが曖昧であり、一応最終責任は学長にあるものの、それでは学長に全て権限があるのかというと、実際にはトップダウンで意思決定を行っているケースが全てではなく、多くの場合は教授会や各学部長などや執行部間の合議を前提として意思決定が行われたりするパターンが少なくなからずある。もっとも、時には学長がトップダウンの決断を行うパターンも当然あるが、それらの意思決定のほとんどはいわば当たり障りのない、漸進主義的な決定が少なくない(Kennedy, 1993)。また、大きければ大きい大学ほど、権限が学部などに分散されている事が多く、大学執行部が大学内の意思決定全てに関わるわけではない(Duderstadt, 2000, Kennedy,1993)。このように権限が分散し、複雑な意思決定メカニズムの中で、IRがどのように意思決定に関わっているかを理解するのが外からはわかりづらいというのも無理はない。大学経営といっても、一握りの経営者グループがあって、全ての決断がその人たちによって下されるわけではないからである。

また「意思決定」とはいうものの、その言葉自体が曖昧な用語ということもIRの意思決定プロセスの関わり方に関する理解を更に難しくさせているといえる。中には、「意思決定」というと、執行役員の会議で決定される内容のことを指しているとイメージする人がいるかもしれないが、それは「意思決定」の一側面でしかない。意思決定が必ずしも外から見える形で行われるわけではなく、またどの時点での決定を意思決定と呼べるのかということに関してもはっきりした定義はない。例えば、意思決定は、個人の胸のうちでいつの間にか形成されていて、それがいつの間にか個人間で複数のルートから伝達されいずれ大多数の意見となっている、というようなパターンもある。また学長がトップダウンで意思決定を行ったとしても、その「意思」は必ずしも学長発とは限らなく、その「意思」の元をたどれば学長が大多数の意見を代弁して述べただけかもしれない。またアメリカの大学は定期的に理事会を行うが、そこでの決定は儀式上でしかないものが少なくなく、はたしてそれを意思決定と呼べるのかというと疑問が残る。一つ一つの意思決定が全て文書化されるわけでもないので、どのように意思決定が醸成されていったのかをパターン化するのは容易ではない。このように意思決定のプロセス及び定義が非常に曖昧であるがゆえに、IRがどのように意思決定プロセスに関わるかということを文章化することは容易な作業ではない。

アメリカの大学内には様々な意思決定者が存在し、組織構造のチャートを見れば意思決定プロセスがわかるという組織でもない。日本の大学では誰がどこで意思決定を下しているのかがわからない、と言われる事がよくあるが、アメリカもそれは似たようなものであるといえる。この誰が果たして意思決定を行っているのかすらもわかりづらい組織の中で、いったいIRはどのように大学の意思決定を手助けしているのであろうか?

IRの意思決定プロセスにおける役割を理解する一つの視点として、本稿においては、意思決定の分野別にIRの役割を考察していきたい。意思決定の分野別、例えば財政や教学などの異なる分野であは、執行部の意思決定への関わり方が大きく変わる(Duderstadt, 2000)。そうであるがゆえに、執行部に仕えるIRの役割も、執行部の関わり方に応じて大きく変わってくる。したがって本稿においては、意思決定の種類別に、IRがどのように関わっていくのかを考えてみたい。

尚、Duderstadt(2000)は、大学の意思決定分野を以下のように分類した。

  • 教学分野
    • 入試(例:入試基準)
    • 教員人事(例:教員採用・昇進・テニュア)
    • カリキュラム・卒業条件
    • 教育手段
    • 大学運営
      • 財政
      • 建物増資
      • 政府対応
      • 社会に対する説明責任(例:監査・法遵守)
      • 危機管理
      • 戦略計画

執行部がこれらの問題とは全くの無関係ではないように、IRはこれらの分野の意思決定に何らかの形で関わるといえよう。以下、具体例を用いて、この中から3つの分野においてIRがどのように大学の意思決定に関わるか述べていく。

3.教学分野におけるIRの関わり方1 - 入試分野の意思決定過程におけるIRの役割

以下紹介するのはあるアメリカの私立大学の例だが、この大学のIRは、エンロールマネジメント担当の副学長の管轄下にあり、その結果入試に関連した分析が多く行われる部署である。この大学では出願が始まる秋くらいになると毎日、出願者の報告がこの副学長に行われる。日々の出願状況の推移が報告され、過去数年の同時期と比べて今年の出願者数に何か変化がないかどうかを見極める事がその目的である。

実際のところ、この大学はアメリカにおける難関大学の一つでもあるため、出願者を集めることは重要課題ではない。むしろこのような大学にとって一番大事になることは、誰に入学許可を出すか、という意思決定である。許可を出しすぎてしまうと定員のキャパシティを超えてしまう恐れがあるし、かといって合格基準を厳しくしすぎると学生数が定員を下回り、収入の低下につながる。また合格通知を出したからといって、必ずしもその学生が入学してくれるとは限らない。したがって、この大学ではある程度の学生が合格しても他の大学へと入学するであろうことを見越して、定員をやや上回る合格者数を出している。この合格ラインをどこに引くのか、ここが重要な意思決定場面の一つである。

この合格者選定に関する意思決定を行う上で、考慮しなければならない点が二つある。一つは、どのくらいの可能性で学生が他の大学へ入学してしまうのか、そしてもう一つは、教育の質を落とさずにどこまで合格ラインを下げる事ができるのか、という情報である。前者に関しては、一般的に行われるのは、過去5年ほどの合格者数のデータを用いて、各学生がどのくらいの確率で入学するのかを予測する統計モデルを作ることである。例えば統計分析を用いて、学生の属性から一人一人の学生がどのくらいの確率で入学するか算出する事ができる。そしてそれを可能性の高い学生から並べ直し、例えば入学率が20パーセント以下の学生はおそらく入学しないといったようなルールを決めれば、合格者数のある程度の予測は不可能ではない。しかし、合格者数が予測できるだけでは、意思決定を行う上ではなんとも心もとない。また、合格者数を予測することは財政的には参考になるかもしれないが、教育の質というところに関しては何の情報ももたらしてはくれない。そこでこの私立大学のIRは、新入生の全体としての属性が、異なる意思決定によってどのように変化するのかシュミレーションするというプログラムを作り上げた。

基本的にこの大学では合格者を選定する上において教員の意見が大きな役割を占める。したがって、教員は入試課から推薦された学生のリストを元に、誰に合格通知を出すかという合意形成を教員内で行う。そこで重要になってくるのが、ボーダーライン上にいる、いわば最後の数パーセントの学生である。この選定作業は個人の主観が大いに関わってくるだけに、非常に困難をきわめる作業である。この意思決定をスムーズに行うためにIRが作成したのがこのシュミレーションプログラムである。

このプログラムが行うことは、合格者の決定方法によって新入生全体の属性がどのように変化をするのかを示すことである。例えば、教員がある一定数の学生に合格通知を出すという決定を仮に行ったとする。そしてその合格者リストを個人のPCから入力する。するとこのプログラムが作動し、新入生の基本的な属性の分布をシミュレーションする。例えば、一つの結果として、高所得者数の学生が例年以上に高い、という結果が出たとする。そうすると、教員たちはそれが果たして望ましいかどうかを話し合い、そうでないならば若干低所得者の学生を多くしたリストをもとにシミュレーションを行う。そうしたら今度はある地域の学生数が増えすぎて学生の出身地分布に偏りが出てしまったのでまた若干の修正を加える、といったように徐々に変更を行いながら、最終的な妥協点を見出すという作業を手助けすることがこのツールの目的である。

この入試分野においては、誰に入学許可を出すかという最終決定を下すのは、エンロールメント・マネジメント担当の副学長ではなく、教員及び入試課の職員による合議である。しかし、決定方法の枠組みの最終決定を行ったのはこの副学長である。IRはその意向を受け、枠組みの中で関係者が合理的な意思決定が行われるようにサポートを提供したという点で、上級管理者の意思決定に貢献したといえるだろう。

4.教学分野におけるIRの関わり方2 - 退学率の抑制・卒業率の増加(カリキュラムに関する意思決定)

多くのアメリカの大学が抱える課題の一つに、中途退学率の高さ・卒業率の低さが挙げられる。必然的に、退学率・卒業率はアメリカ高等教育界で最も重要なデータであり、多くのIRは退学率に関連する研究を行っている。基本的な次元で言えば、退学率の推移や、学部、性、人種、家庭収入別、出身地別などで退学率を算出するといったことが多くのIRで行われている。

それでは、これらの基本的なデータを執行部がどう使うかというと、実際には参考程度に省みられるのが関の山である。筆者が勤めていたコミュニティカレッジでは当時最新の卒業率が10パーセント台というレベルで、学長にそのデータを報告した事があるが、それではどうすればいいかという話にすぐなるわけではなかった。現状を理解したところですぐに対策方法が出るわけでもないので、至極当然の反応といえる。また学長からすれば、毎年のことなので別に驚くべき数字でもないわけである。この辺りはいうなれば医者の健康診断と似ている。健康診断であれば、血圧地とか体温とか心拍数といったような基本的な指標をまず検査し、そこで異常が認められればさらに細かく症状の原因を追究するというような措置がとられる。大学も似たようなもので、退学率や、卒業率といったような基本的なデータを定期的にチェックすることによって、執行部は大学の健康状況を把握するのである。実際、多くのIRはこの報告業務レベルでとどまっており、意思決定に関する提言は、「なぜ卒業率が低いのか更なる調査が必要である」といったような当たり障りのない提案にとどまる場合が多い。

しかし、その一方でIRがこれ以上踏み込んだ提案を行うことも難しい話である。そもそも彼らはデータ分析のプロフェッショナルであり、卒業率を上げることのできるプロフェッショナルではない。実際に現実に変化を起こすのは、学生と直接接する教員や職員であり、この現場のスタッフがなんらかの行動を起こさなければ、現場を詳しく知らないIRが何を言おうと、変革が起こることはないからである。

このような現実に対して、非常に興味深い記事があるのでここで引用したい。アメリカのオンライン高等教育新聞とも言う存在の、Inside Higher Edの2009年10月30日付けの記事で、アリゾナのコミュニティカレッジの取り組みが紹介されていた。卒業率増加のための意思決定におけるIRの役割を端的に物語っている例なのでここで簡単に紹介したい。

このコミュニティカレッジには64、000人の学生がオンライン上でコースを履修しているのだが、このカレッジが、教員やサポートスタッフのために、どの履修学生が一つ一つのコースで学期末に最低C以上の成績を取得できるかを予測するプログラムを作成した。このプログラムのもと、学生はその予測モデルに応じて、最も危険度が高い学生、危険度が中間レベルの学生、安全圏にいる学生の3グループに分けられる。教員は学期の最初の週に、中間レベルのリスクを持つ、いわばボーダーラインに位置する学生のリストを受け取る。教員によってそのリストを受け取った後の対応は、学生に対する対応方法を考慮したり、それぞれの自主性に任せてある。

この記事では、誰がこの予測モデルを作成したかまでは細かく触れていないが、これこそはIRの本領を発揮できる分野であるといえる。この例では、一見IRはトップマネジメントレベルの意思決定とは直接的には関わっているようには見えないが、裏側では大学の卒業率を向上させるためのイニシアチブをトップマネジメントがIRにおこなわせたということが容易に想像できる。執行部がIRを駆使して卒業率向上のための意思決定に利用した一つの例として紹介したい。

5.戦略計画におけるIR

ここまで、どちらかといえば執行部全体ではなく、執行部の一部が関わる意思決定に関して述べてきたが、ここでは大学執行部全体の意思決定に直接関わるIRの役割を述べて生きたい。執行部の大きな役割の一つとは大学としての戦略計画である(Duderstadt, 2000)。長期的に大学としてどのような方向性を目指し、何をいつまでに達成するのか、これは執行部の大きな役割の一つであり、多くの大学が何らかの形で戦略設計に多くの資源を割り当てている。以下、この戦略設定に関する私のIRとしての経験を紹介したい。これは州政府レベルの話ではあるが、大学レベルでもほぼ似たようなプロセスで意思決定が行われているので参考になると思う。

テネシー州では、州として5年に一度、マスタープランを作成することが義務付けられている。その作成の担当を私の所属するIR部署が担ったのだが、最初の時点である程度のマスタープランの骨子はIRの中で出来上がっていた。テーマは、州の成人人口における学位保持者の比率を全米平均まで上げることであり、そのために、大学の学位生産性、すなわち年間の卒業生数、を向上させるということであった。これは州内ですでにコンセンサスが取れていた課題でもあるので、マスタープランのテーマに据えることに関しては比較的簡単に合意に達する事ができた。

それでは、学位保持者の比率をいつまでに全米平均にまで引き上げるのかという具体的ゴールに関して、私たちはそれを2025年と設定した。そこに関して深い理由はあまりない。2015年や20年では現実性がなさ過ぎるし、30年ではあまりにも遠い未来の話なので、その中間地点の2025年くらいが丁度いいし関係者も納得しやすいのではないか、というニュアンス次元の話で決定された。

ゴールは「成人人口における学位保持者の比率を2025年までに全米平均に追いつく」と設定されたが、それでは具体的に各大学にとってそれがどのような意味を持ってくるのか、というのを明らかにする作業を次に私たちは行った。すなわち、今後の人口増加率や、移民率を加味した上で、高等教育としてどれくらいの数の卒業生を今後輩出しなければならないのか、分析の結果、現在のペースでテネシー州の高等教育が学位保持者を輩出していくと、2025年の時点で約21万人の学位保持者不足になる、という結果がわかった。そして逆に言えば、大学全体として、毎年4.0パーセント、卒業生数を増やしていかなければこのゴールには達成できないということもわかった。そしてこの4%をマスタープランに盛り込む、ということをIRとして決定した。

マスタープランは、州政府だけでなく、システムオフィスや、教員組合等といった高等教育関係者の賛同を得なければならない。今まで州としては、具体的な数値目標をマスタープランに掲げたことはなく、果たして具体的な目標を盛り込むことに対する理解を得られるのか、という懸念が私たちの中であった。毎年4%アップというのは、それは別の見方をすれば、テネシー州の年間卒業者数が2025年には現時点の約2倍に等しくなる、ということでもある。果たして大学がそのような一見急進的ともいえるゴールに賛同してくれるのか、という不安があった。そこでその不安を軽減させるため、IRとして考えたことが、ゴールを掲げるだけでなく、それをどうすれば達成できるのかというロードマップを、データに基づいて、作り上げることが必要であるということであった。それによって、この目標が実現不可能なものではなく、必要な努力を行えば十分達成できるゴールであるということを数字の上から示すことで、議論がよりスムーズに行われるのではないか、という狙いがそこにはあった。

そこで私が作ったものが、Tennessee Student Flow Modelという、過去10年間のデータに基づいて2015年までの卒業生数の将来予測をシミュレートするモデルである。これは卒業率に関連のある合計20の変数(例:高校卒業率、大学進学率、退学率など)をもとに年間卒業生数の将来予測を行うプランニングツールであり、意思決定者はこのツールを使い、どの変数をどのように変化させれば毎年4%の成長率を達成する事ができるのか、ということをシミュレートする事ができる。この結果として、毎年4%の成長率は決して不可能な数値ではなく、必要な努力を毎年行っていけば十分達成可能な数値であるということを数字の上から示すことができた。最終的に、この4%は関係者の合意を得る事ができ、昨年発表されたマスタープランにこのゴールを掲載する事ができた。これはたかが一つの数字で、実際にこれによって、すぐに現状が変わるというわけでもないのだが、IRにとってはデータに基づいた決定が行われたという点でこれは勝利である。大学レベルでは当然異なるゴールがあり、マスタープランの内容も州のそれと大きく変わってくるのだが、IRの戦略計画への関わり方は上記の例と似ているといえる。

6.日本への示唆

ここまで3つのIRの意思決定プロセスの関わり方の例を示してきたが、IRの関わり方は非常に地味であるといえる。この3つの例に共通していることは、誰がどのような意思決定を行うにせよ、IRが陰のように寄り添い、その決定がデータに基づいて行われるようサポートを行う、ということである。しかし一方で、データによる意思決定を行ったからといって、現実に何か目が見える変化がすぐ出るかというとそう言うわけでもない。またデータを用いずとも意思決定者が同じ結論に達することも全く不可能というわけでもない。長年現場で培ってきた感覚のほうがデータよりも信用できる、という人も当然のことながらいるであろう。また、データがいつも必ずしも正しいというわけでもないし、データに基づいたがゆえに誤った決断を下すときだってあるかもしれない。したがって、IRを設置したからといって、大学が瞬く間に生まれ変わり、近代化した大学が登場するという期待は(もしそのようなものを抱いている人がいるとすれば)現実離れしているといえる。IRに過剰な期待をすべきではないというのは、このような理由から来ている。

むしろIRのゴールというのは、大学の意思決定に関する文化を変えるということである。したがって、長い目で見ないとIRの効果を理解することは難しい。言い換えるならば、どれだけ正確な意思決定を大学として行えるかをサポートするのがIRの役割ともいえよう。例えば「意思決定成功率」という数値があったとしよう。これは、年間に行われた意思決定のうち、ポジティブな結果をもたらした意思決定の数を図る数値だと仮に定義する。そしてIR設置前は、意思決定の成功率が60%だったとする。それがIRを設置したことによって、データ重視の意思決定にシフトした結果、その成功率が75%にあがる。この15%の違いは1,2年ではあまり違いに気づくことができないレベルの変化かもしれない。しかしこれが5年10年と続けていくと、毎年のわずかな変化が、やがて大きな変化として現れてくる。そしてこの毎年の変化の積み重ねを通して、データ重視の文化が構築され、より正確な意思決定を行う可能性が組織全体として高くなる。それこそがIRの役割であると、私は考える。したがって、もし大学執行部が学内にIRを設置しようと決めたのであれば、短期間でその効果の是非を判断するのではなく、長期的視点からその効用を判断する必要がある。

7.おわりに

IRとはいわば、私たちの身近なもので例えて言うならば、インターネット検索エンジンでおなじみの「グーグル」のようなものといえるかもしれない。その主なユーザーが執行部に当たり、ユーザーが調べたい情報をグーグル(IR)に入力する。そしてグーグルはそれに関して自分たちのデータベースから情報を取り寄せてユーザーに提供する。そしてユーザーはそこで得た情報をもとに、何らかの行動、すなわち意思決定を行う。この際、グーグルはユーザーが求めている情報を提供するだけであり、ユーザーもグーグルに意思決定をゆだねていない。そして時にはグーグルが完璧な答えを返してくれることもあれば、そうでないときもある。また間違った答えを返すときもあれば、ユーザーからの質問がグーグルに正しく理解されていない場合もある。そういったグーグルが提供する情報の不完全さも理解しつつ、ユーザーは行動を起こしていくのだが、それは大学における意思決定者がIRを使いこなしつつ意思決定を行う過程と非常に似ているといってよい。

グーグルが世の中に出現した当初、多くの人がその本当の価値を理解していたわけではなかった。また、グーグルも初期段階では検索の精度も高くはなかった。しかし、時を経るにつれて、徐々にグーグルを取り巻く環境の整備も行われるようになり、また同時平行で人々もその価値を理解するようになる中で、その相乗効果の結果グーグルもその検索精度を徐々に増していった。IRもグーグルの変遷の歴史と似ているものがあるかもしれない。したがって執行部がまずなさねばならないことは、執行部の望む「検索機能」をIRが果たせるよう、必要な環境を整えることである。したがってIRの使い方のイメージがわからないという人に逆に私が問いかけたいのは、「グーグルをどのように使うか?」ということである。それがわかればおのずと大学におけるIRの使い方のヒントが見えてくるはずである。

[参考文献]