「アメリカのIRの本質」?日本でIRが根付いていくために必要なこと

(IDE大学協会発行、IDE-現代の高等教育、2011年2-3月号(NO.528)より転載)

 

柳浦 猛

はじめに

最初に「アメリカのIRの本質」について書いて欲しいという依頼を受けたとき、さて何を書けばいいものかと考えこんでしまった。なぜならば、まず「本質」という言葉は抽象的な言葉であり、この言葉をどのように定義するかによって文章の内容が大きく変わってきてしまうからである。また、どのような定義を用いるにせよ、そもそも「本質」というものは国によって果たして変わってしまうようなものなのであろうかとも思った。様々思いをめぐらした結果、国を超えても変わらないものこそが本質であり、それを書くことが「アメリカのIRの本質」の理解につながるはずである、という結論に至った。

それでは国を超えても変わらない「IRの本質」とは何なのだろうか。色々な見方があるのかもしれないが、自分の中ではそれはIRの存在理由、すなわちミッションではないかと思う。IRのミッションというものはアメリカであろうと日本であろうと、その他どこの国であろうと、変わることはない。もし変わるようであれば、それはもはやIRではなく、別物であるといえよう。

IRの根本の目的は、大学に関する様々なデータを分析し、大学首脳陣が効率的な大学運営を行えるようサポートすることである。もっとも国によってIRを取り巻く環境は異なるので、IRの展開方法はそれなりに異なるものになるという可能性は大いにありうる。しかし、だからといってIRのミッションまでが変わるということにはならない。文化や環境の違い上、IRの展開パターンや活動内容は若干、アメリカと異なるものになるかもしれない。しかし、根本的には日米のIRの存在理由に違いは存在しないはずである、というのが私の意見である。

本稿においては、このIRのミッションに基づいて、アメリカのIRがどのような変遷の歴史をたどってきたのかを簡単に概観していきたい。そしてそこから得た示唆をもとに、IRが日本の高等教育という特殊な環境で展開していくためには、いったい何が重要となってくるかを、考察していく。

1.アメリカにおけるIRの変遷

アメリカのIRは大学外部環境の圧力・影響に対応する形で発展してきた。1960代からIR活動が各大学で行われ始めたが、その時代は学生数が右肩上がりに激増していたときであった。新しいキャンパス、学部が次々と設置されはじめる一方で、各大学は予算の増額を正当化する必要に迫られていた。そのためにデータが使われ始め、単純なデータ整理を行ったのが、アメリカにおけるIRの初期段階であった。しかし、1970年代に入って、大学を取り巻く環境が変わり始めると、IRの役割もそれに伴って変わっていった。学生の増加が落ち着き始め、60年代の無計画な拡大の代償として生じた欠陥が目に付き始め、より計画的な組織運営、例えば効果的な財政資源の利用といったものが重視されるようになり、学生数予測モデルやシミュレーションなどが盛んに行われた時代であった(Peterson,1999)。

1980年に入って、アメリカの高等教育は大きな転換期を迎えた。学生数が以前ほど伸びなくなり、そして当時の経済不況もあいまって、政府からの高等教育への支出が、以前のように右肩上がりではなくなってきた。また医療や初等教育、犯罪対策など、その他の公共政策分野の需要が大きくなり、公共政策における高等教育の重要度が徐々に下がり始めてきたのが、この時代である。その中で社会からの大学に対する情報公開の圧力が強くなり、限られた財政資源を高等教育がどのように効果的に使用しているのか、社会に対してはっきりと説明をしなければならないという、いわゆるアカウンタビリティ(説明責任)の要求が強まり、その任務の遂行がIRの一つの大きな役割になった。

その後、80年代後半から90年代前半にかけて情報技術の発達が始まり、大学の経営の近代化も急速に進んでいく。そのなかで、ITの基盤整備を急速に進めるビジネス界の影響も受けて、大学におけるデータ重視の経営の流れが更に進化していった。そしてこの頃から各大学は大学のデータベースの改革に乗り出し、より経営に役立つためのデータベース、特にEnterprise Resource Planning(以下ERP)システムの構築に投資を始めていった。その開発に要した合計投資額は、2002年時点で既に4000億円を上っていた(King & Kvavik, 2002)。現在でもERPを導入している大学があることから、合計投資額は当時の額をはるかに上回っていることが予想される。ともあれ、このデータベースの発達に伴い、IRの活動のキャパシティが格段に発達しはじめていったのがこの時代である。

そして90年代から21世紀の初頭にかけて、知識基盤社会の流れが更に顕著となり、労働市場における大学教育の重要性が更に増し、大学卒でなければ平均所得を得るための仕事に就職できないという傾向が明らかになってきた。その一方で、高等教育に対する労働市場からの不満が顕在化してきたのも、この頃である。

同じ頃、学費の増加に拍車がかかり、平均インフレーション率を上回る勢いで毎年学費が増大していった。必然的に、大学が学費に見合ったサービスを提供しているのかという、学生およびその家族からの不満も強まってきた。それに対応する形で、アメリカの認証評価機関も、学生が実際にどのような力を大学で身につけているのかを証明するよう、大学に対する圧力を強めていった。この動きを受けて各大学は、学生が大学でどのような力を身につけているのか、その質的部分の測定に注目し始め、いわゆる学習状況の測定という新たな役割がIRに加わった。

以上、アメリカのIRの変遷について、私なりに思うところを簡単に述べてきた。IRの役割というのは実に幅広く、時代とともに仕事の優先順位が変わる、いわば「何でも屋」的な存在であるということがわかる。しかしそれ以上に重要なポイントは、その柔軟性こそがIRにとって必要なことであり、アメリカのIRはそのように社会の要求に対応する形で発展してきたということである。

ただし、IRが自発的に社会の流れに敏感に反応して動いてきたというよりは、大学のリーダーが大学全体として時代の要請に応え、応戦していくために、IRという機能を使いこなしてきた、という言い方のほうが正しい。この事実は、時代が変わろうとIRは大学の首脳陣の為に存在する、というIRの根本的な存在理由を裏付けている。

2.日本の大学に必要なもの

それでは、IRが本来のミッションを果たしていくためには、日本の大学には何が必要なのであろうか?

私は、特に大事な点が2つあると考えている。一つめはIRを取り巻く情報インフラの整備と、そしてもう一つはリーダーシップのデータリテラシーの発達である。この二つの点において、アメリカと日本を比較した際に非常に大きな差が見られる。この違いを認識しておかなければ、アメリカで展開しているIR活動の全体像を掴むことは難しい。また、これらは今後日本にIRが根付いていく上でも非常に重要な点であり、この二つの環境条件をクリアしない限り、日本でIRが継続的に発展していくことは難しい。

まず最初の情報インフラに関して、日本では、IRを配置するだけの情報技術設備が十分整っていない。

過去数年間にわたって、いくつか日本の大学を訪問し、また多くの大学関係者にお会いしてきたが、その中で気づいたことである。日本の大学でIR関連の仕事に関わる人はほぼ口をそろえて、新設のIRスタッフとしてまず行うことは、各学部・部局と交渉してデータ共有の許可を得るこであると述べていた。そしてほぼ例外なく、この段階で各部の理解をなかなか得ることが難しいので、データ共有が思うように進まない、という現実問題に直面していた。一方アメリカにおいては、データが中央で集積されるシステムが出来上がっているところが多いので、IRは部局を通さずに直接データにアクセスできる。日本とアメリカとのIRの展開の違いは、まずこのデータアクセスに関する環境の違いから始まるといっても過言ではない。

このように、日米の大学を比較した際、日本のIRがアクセスできる情報量は、アメリカのIRと比較したときに圧倒的に少なく、アクセスするまでに要する時間も、日本の方が圧倒的に長い。IRとデータ環境というのは水と魚の関係にあり、IRの効用を増大させようと思うならば、大学のデータ環境の整備を行う必要がある。

一般的に、アメリカの大学では、IR部門は大学のデータに関して一番精通している部署として確立されている。私の印象としては、日本のほとんどの大学におけるIR部門の情報インフラ環境は、多くのアメリカの大学で言うところの1980-90年代レベルに近い。情報インフラが整わないうちにIRを設置し、前近代的なインフラのまま21世紀の課題を解決しようとしているのが、現在の多くの日本の大学に共通して見られる特徴である。いわば、素手で武装した相手に戦いを挑んでいくようなものであり、IRを根付かせるためには、IRを「武装」させる必要がある。それが直接アクセスできるデータ環境を整えるということであり、直接アクセスできる情報量が増えた分だけ、IRの効果も増すのである。

そしてもう一つ、IRのミッションの遂行のためには、それを使いこなす側のデータ・リテラシーの発達が必要不可欠である。平たく言えば、大学のリーダーがデータを意思決定に使いこなす力であり、またデータの限界を知ることである。IRの限界というものをよく理解した上で、IRを使いこなす力ともいえる。

現在の仕事を通じて、州・大学システムレベルの意思決定に関わる中で実感していることだが、アメリカの現在の高等教育のリーダーたちは、データを実にうまく使いこなしているという印象を受ける。これは必ずしも、常に彼らがデータに基づいて意思決定を行っているということとイコールではない。もちろん彼らはデータを常に重視はしているが、時にはデータに反しても直感に基づく決定も行うし、政治的な理由のみで意思を決定することもある。それは言い換えれば、どのようなデータが有効で、それをどのように運営に使っていけばいいのか、随時判断するスキルであり、限られた情報を取捨選択しつつ意思決定をしていく上でのコツともいえるものである。

これはおそらく過去数十年に渡って、データ重視の運営を促進してきた蓄積の結果とも言えるものであろう。データに踊らされるのではなくデータを使いこなす-これこそがデータ重視経営の本来の意味であり、外からは決して見えないアメリカ高等教育の一番の強みであるといってもいいかもしれない。データの使い方にもコツがあり、決して一朝一夕に身につけることができるものでもない。それが故に、今までデータ重視の経営をほぼしてこなかったといわれる日本の大学が、IRを意思決定に使いこなせるレベルのデータ・リテラシーを身につけるようになるには、多少の時間がかかっても不思議ではない。

3.今後の日本におけるIRの展開

IRのミッションは大学運営のサポートをすることである。それは要するに、組織運営の合理化を目指すということであり、意思決定の過程の合理化とも言い換えることができる。すなわち、意思決定の過程において、いかにデータに基づいた議論を推進するか、それがIRのミッションである。

もちろん、IR部門を設置すればそれだけで全てが良くなるわけではないのは、言うまでもない。IRが本来の役割を果たすためには、それをサポートするための環境が、ハードとソフトの両方の面から整備されている必要がある。先に述べたように、ハード面は大学における情報システムのインフラであり、ソフト面はIRを使いこなす大学の執行部のデータ・リテラシーである。どんなに優秀なIRスタッフを雇ったとしても、この二つがそろってなければ、IRが十全に力を発揮することは非常に難しい。このようなソフト面とハード面の関係性を、図に示してみた。(図1)

図1:経営の合理化とIRのデータ環境、及び大学執行部のデータリテラシーの関連性

IDE Chart

日本で今後起こりうるIR展開について考えるとき、最も避けなければならないのは、IRをとりあえず設置してみたものの、大学組織のしがらみの中に放置してしまうというパターンである。学部・部局の抵抗の壁に阻まれて、IRがいずれ組織の中で埋没していくパターンであり、それは図1の「低」の位置にあたる。情報量が少ないがゆえにIR活動が制限され、執行部も、IRの使い方がわからないまま情報環境の改善も行わない。この位置にIRがとどまってしまう場合は、IRを設置したところで、大学経営に目に見える形で貢献を行うことは難しいであろう。むしろ、IRが発する偏った情報に、データ・リテラシーの低い大学経営者が過敏に反応してしまう、という副作用を引き起こし、大学経営にマイナスの影響をもたらしかねない。日本のIRがこの位置にとどまってしまった場合、遠くない将来、IRはその存在感を低下させていくということになりかねない。

このパターンを避けるためには、データ環境整備のための設備投資を行うことが遠いようで一番の近道といえる。IRはそのことによって様々なデータ及び分析を執行部に提供できるようになり、執行部は(そしてIRも)最初はそれらのデータの使い方のコツを掴むのに時間がかかるかもしれないが、徐々にデータ重視の文化が構築されていくのではないだろうか。また、一方で大学のリーダーを対象にした、データ重視の経営手法を学ぶ短期研修などをやってみる価値があるように思う。例えばアメリカの大学のリーダーは、どのようなデータをどういう形で、どのようなタイミングで経営に使われているのかを学ぶためのワークショップ実施は、必ずしも無駄な試みとは言えないと思う。それはIRの効用を更に増大させ、大学経営の合理化を推進させるために一役買うことができるかもしれない。

終わりに

大学には無数のデータが存在している。そのデータはいわば宝の山であり、それを活用せずに来たのが今までの日本の高等教育界である。他方、それを長年にわたってうまく活用してきたのがアメリカの高等教育界といえる。この宝の山をどのように今後掘り下げ、有効活用していけるか、ここに今後の日本の高等教育の発展の鍵がある。

そしてその担い手となるのは、IRに他ならない。ただし、IRが大学の発展のためにどのように力を発揮していけるかは、大学のリーダー次第といえるだろう。つまるところ、IRが大学を牽引していくのではない。大学のリーダーが、IRという機能を利用して、大学を未来へと導いていくのである。

参考文献

  • Petersonm M.W., et al. (2002). ASHE Reader on Planning and Institutional Research. Pearson Custom Series. Neadham Heights. MA.
  • King. P. & Kvavik. K.(2002). Enterprise Resource Planning Systems in Higher Education. Educause Center for Applied Research.   http://net.educause.edu/ir/library/pdf/ERB0222.pdf